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 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
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魂と付き合う
母が施設で倒れて 一年が過ぎた。 どんなに怖かっただろう。

ここから 母が逝くまでの 一ヶ月あまり、別れの日々を 過ごしたこと。

転院・・ 母の苦しみ。 つれあいの病気、父の介護。 生活の大変な娘と息子も手伝って、

人生 最大の峠を生きている。 まだ、私の部屋にいる母は、毎朝 心配したり、話しかけたり

たまに 穏やかだったりする。 まだ、この世のどこかにいる。確実に感じている。

故郷の 母がいきつけたスーパーに入ったとき、不意に舞い降りてきて、怒涛のように

私に涙を流させたりもする。  もう少し、そこにいて・・みんないくから・・

魂に 私は語りかける。 この駅で 母の追悼に 折り紙を始めてくれた人がいた。

寒い駅に 折り紙を貼りにきていた人がいた。 ボランティアという大義名分はあったものの、

大変な私を 心配して 折り紙をしてくれた人がいる。 今の時代でいえば「したくてしている」

ということになる。でも 本来 人の心配をするのは 自然で温かなことのはず。いつから、

人の心配をしながら、自分は伸びていく時代になったのか・・母は いつも人のことを

心配していた。 ただ、気づかっていた。 そんな母の魂と、私は今もつながっている。

さぞかし 無念だったろう・・もっと幸せにしてやりたかった。

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ざわざわと・・・・・
物事が 水面下で動くようになって久しい。

だから 地上の出来事は、茶番劇のように見えることが多くなった。

人の死さえ そんな風になっているのかもしれない。 夢のような日々だ。

夥しい 人々との出会いさえ、違う場所で逢えば 誰かもわからなくなる人がいる。

とりあえず、哀しみは横において、 とりあえず、苦しみは見ないふりして、

そんな 人が多くなった。 だから 出会っても とりあえず、人の苦しみまではわからない。

でも、 人が湖を持っていたら、それはわかる。 涙をためた 湖をたたえている人は、

会ってみるとわかる。 顔を見るとわかる。 昔からそうだった・・・・

  久しぶりに会った友達でも それはわかる。 

この無人駅から、母は よく父の病院に行った。 老体に鞭打って。 私の止めるのも待たずに。

この無人駅から 父母は 和歌山行きに乗った。 私の止めるのも待たずに。

最後に二人が この駅から 乗った時は、荷物もそのままだった。父はおむつをしたままだった。

止める間もなかった。二人でどうやって帰ったのか。案の定、食べ物がないと ヘルパーさんに

助けを求め、ヘルパーさんは 「規則で行けない」という。「大丈夫?」とヘルパーさんに言われ

「大丈夫ちゃうわ!」と怒鳴ったと聞いた。 夜に荷物と食べ物を届けた。

そのころは 既に大変だったけど、それはまだまだ 介護の入口だったのだ。

幸せな老後にしてやりたかった母は 元旦に逝き、父が残った・・。

ノルを作った人・・追悼
お隣のノルは、9年くらいになります。

奈良市子育て支援センター 「ノル」は 最初 北島真理さんが、私に持ちかけて

くれて 物件を一緒に探し歩いたことから始まりました。

冬のある日、電話が鳴り、男女参画センターに訪ねてきてくれた北島真理さんは、

「京終で子育て支援の場所を作りたいの」と言われました。 その後、物件を探したいとの

依頼から、知り合いに物件をいくつか紹介して貰って 一緒に見て歩きました。

冬日の射す 暖かな日でした。でも どれも乗り気にならず、彼女は 最後に「ここは?」

と言った場所は、駅前の私の事業所のとなり、本来 マンションの管理人さんの棲家だった

ところでした。「ここは、空いてるけど普通の住まいだよ」と言いましたが「ここがいい」と

彼女は 気に入り、また 考えを譲らず、とうとう その部屋を子育て支援に借りることに

なりました。 これが「ノル」の始まりでした。 それから 彼女は次々と事業を広げていき

その度に 第一歩は 私に声をかけてくれました。 私は 一歩目だけを協力して、とどまって

いると、彼女は ぽんぽんと踏み石を踏みながら 協力者を見つけて実現していきました。

いつしか、暗黙のうちに 第一歩めの私 ・・と彼女の9年のコラボが続きました。

 今年、6月21日 メールのやりとりをしたのが、最後になってしまいました。

9月16日、 誰もが予想だにしなかった彼女の死。次の日が誕生日という前日に、

北島真理さんは亡くなりました。 無人駅前の 「ノル」は、彼女と物件を探し歩いて

たどり着いた場所。  同士であり、戦友であり、盟友でした。

 私が 虹を見つけると 部屋を飛び出して「どこ?」と探しにでるような無邪気な一面の

ある人でした。 惜しまれてなりません。 




  




奇妙な台風のあとで
変なルートを辿る台風が 抜けていきました。

もう一度 中国から 日本に戻るのではないかとさえ思いました。

台風は、それでもやはり 台風で、東北地方に上陸して、河川を襲ったり、人の命も

奪いながら 通過しました。 こんな 危険な地震王国 台風国の島国で 災害と隣り合わせ

に生きている私たちでした。 生まれて 生きて 死ぬまでの日々だけでも 相当な労力でした。

したいことを して生きていく人が だんだん増えるこの国で、自分が一番の国で

人とつながって 生きていくのは 難しいでしょうか。今日は 秋晴れ・・

もう確実に 夏はすぎていきました。 母が逝って 8ヶ月になります。

元旦が命日ですから、わかりやすいのです。  百箇日は 母の誕生日でした。

義理の叔父さんが 亡くなったと昨日知らせが入りました。 「急いで母に知らせないと」

「あ、いやいや母が先に向こうに逝ってるんだ」変な錯覚にとまどいました。

確実に、この世は変わりました。 家族が一人いなくなることは そういうことなんです。

                            晩夏の無人駅にて     


小さなふるほんショップ
このブログを開いて ほったらかしになり、10年経って 無人駅前も随分様変わり

してきました。 車が多くなり、循環道路と街道の近道であるらしく、スピードも半端なく

行き交うようになりました。このお店は13年目になり、あの世とこの世を行ったり来たりの

不思議な、苦しい10年が過ぎました。 今年、1月1日 夜明け前、母が逝きました。

88年の 生涯現役の 人生でした。 最後の一年のうち 数ヶ月は この無人駅から一人

電車に乗り、奈良駅で乗り換えて父の入院していた 病院まで 送迎バスで通いました。

母が通ったこの駅の、母が好きな奈良のこの場所で、小さなふるほん屋さんに変わりつつある

私たちは、母の恩恵で ささやかに 人とつながりながら、生きています。

                      
                         8月29日 雨の無人駅前にて
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