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 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
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桜、降る・・・・・・
 桜の見納めが、日曜日だった。次の日は下り坂の大雨予想だったので、ちまたの名所は人で溢れかえっていた。事実、月曜日は一日中、雨のそぼ降るお天気だった・・・・・・

 今日は雨上がり・・・・・桜たちは、時期を申しあわせたように、小風のなかを散り急いでいる。

花曇りのなか、舞う花びらはもう、次の季節を目指していて、人を振り向きもしない。

そのいさぎよさは、毎年の役目を終えさりげなく事務的にさえ感じられる。もう若葉に向かっているのだった。

京終が賑やかになり、ポエムのお隣の出入りが多くなった。泣き声や笑い声が聞こえることだろう。

 このところ、不眠が続く・・・・・・しいたけスープや醤油番茶をのんで、落ち着くようにしているのだけど。

事業の歩みが、石橋を十回くらい叩くので大変だ。長距離ランナーなので、少し疲れたなと思う。里芋パスターが心地よい。目をとじて想うのは、春の白馬、安曇野、黒姫、妙高、浅間、八ヶ岳・・・・・・・

黒姫高原の八重桜はまだつぼみだろう。春はこれからなんだろう。
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ポエムの朝風・・・・・京終にサプライズ・・・・・
  
  つれあいが言った。「夢に犬が出てきて[桜を見てきた]ていいよるねん。」桜満開・・・・・車に犬のアルバムを乗せて出勤した。桜のトンネルをくぐりながら、信州の朝風を思い出した。

夏の朝、強い太陽が勢いを増す前に、出た清里の道。ひまわりは昔の校舎の横の花壇のように、大きく咲き、
澄み渡る風のなか、澄み渡る景色の中、歩いた道の神々しさ。朝風はいつも吹き抜けていた・・・・・

田舎の風はいつも吹きぬけていた・・・・・・そんな朝風がポエムに吹いた気がした。

さて、京終界隈サプライズ・・・・・・少しナイショにしておきましょう。不思議なご縁のつきあいから生まれた暖かい
プロジェクトに実はポエムも協力しながらまた、自分たちも前に進むことになりました。そしてそれは、また
また新しいつながりをもたらし、さらに違う世界へと・・・・・・ここ数日のポエムのできごとは、さまざまです・・・・・

とにかく、よい朝風が吹き始めている。本当に求めているものは、街中の自然。ポエムは光のなかに出ようと思います。そして、じっくり育ててみるつもりです。青りんごは若い風がどんどん育っています。人は来ませんが(笑)
贅沢な食卓・・・・・ベビーフードでランチ
 少しずつ広めているオーガニックのベビーフードがもうすぐ消費期限がくる。在庫を利用して、オーガニックフードの開発を兼ねて、自分の食事にもする。

今日はこかぶをベビーフードのミックス野菜で煮てみた。やさしい味で柔らかくおいしい。

かぶのはっぱは、浅漬けに・・・・・楽しみに時間の経過を待つ。生活と仕事の同化はこんなことが豊かである。

在庫の山に追いまくられ、血眼で売りまくらなくていい。人に伝えるために、自分が使っていく。その代わり、日々の生活用品や食料は改めて買う必要がない。事実、お菓子なんかも市販ではほとんど買わない。
 我慢しているのではなく、添加物だらけのお菓子は食べたくなくなるのである。

自分の選んだ確かなものしか、買わないし、食べないし、使わないし、人にも売らない。その、一本線が心地よいし、幸福である。ポエムがテーマの一つにしている「幸福感」について・・・・・たいていのものに恵まれていて、たいていのものが手に入り、たいていの望みは叶い、経済的にもゆとりのある人でも、幸福感は別である。

日々「幸福感」を抱いて生きられる人は少ないだろう。たとえ、「いえ私は今で幸せです。」といえる人がいたとしてもその思いが一生続く人はいない。逆に、貧しくても、あるものを大切に使い、自然に近いものを食して、良い人間関係を日々築いていく人は、たとえ、経済的に苦しくてもそれ以外の「幸福感」で誰よりもよい人生を送れるのかもしれない。実は私もそれを目指している。ポエムが大切にしいるものはそういう幸福感が少しでもある
暮らしなのだ。それは激動社会の中で、甘いことをいっているのではない。みなが少しでも自身にブレーキをかけて、ひと時でも自分を振り返り、自然に近いものをよく噛んで食べ、人を見て話し合うべきは話し合い、歩みより、時々、自然に身を置いて、歌を歌いそういう時間を取り戻すことが、大げさにいえば豊かな経済を助長し、
格差を縮め、法だ、訴訟だと簡単に騒がない世にしていくことだと思っている。人は・・・・・・加速すればするほど頑張っていると自己主張も強くなる。アクセルの踏みっぱなしは暴走である。
人と人・・こだわる者同士は必ず会える、の方程式
 北島さんの事業が動き始める。久々に今日出会うことができた。今日は朝から多忙、青りんごにお客様の
とりおきリップクリームを届けに行って、久々にあすならのメンバーに会う。

センターの異動を知り、少し寂しい気持ちに・・・・・でも、新しい顔ぶれに元気もいただいた。

交代して大急ぎで京終に・・・・・つれあいがアルバイトに出るのに、お弁当のお客様がまだ来られないと。

交差点でつれあいに出逢い、チェンジのしぐさをしてポエムに戻った。ちょうど、お客様と遭遇。あぶなかった。
・・・・・とそのお客様・・・・・花見のお弁当をさがしているとのことだったが、某新聞のミニコミ誌に紹介したいお弁当をさがしていたとのことで、ミニ取材になってしまった。折りしも北島さんが京終に寄られ、これもまた、
出会うことができてセーフ!!

店先での立ち話から、意外な事業とのつながりになる。これはきっと、人間関係の神様がいる。

私は確信した。人にこだわる者は、その流れがゆっくりである。時に遠回りと思える道をとうとうと歩く。

だから、願うべくして出会う人に必ず出会うのだ。お店をしていなくても事業が本物のエコロジーならば
必ず出逢える。そのわくわく感こそがコンセプトを共有しているのだ。この生き方でいく。

雲の上のような事業の理想が形となって降りてきた。そして、手の中に確かな手ごたえを感じる。

ありがとう・・・・・・人間関係の神様・・・・・と私はつぶやく・・・・・・ありがとう、私のいる奈良・・・・・・
若者たち・・・・・

 「大人」にあこがれる時期がある。生き方、身のこなし、自立した生活、少ない感情輸入、さりげない配慮、
なんだかあこがれて自分の今までの周囲が幼く見え、世界が小さく見える。
そんな人が回りにいたら、男女問わず、影響を受けるに違いない。自分もあやかりたいと思うだろう。

今まで支えてくれた親、兄弟、彼女、仲間が幼く見える。背伸びをしても大人になろうとする。
振り回されていても苦にならないのだ。大人の人間関係にさらりとかわしていけたら格好よい。
でも未熟なので、さりげなくとはいかない。ぎこちなく、周囲を巻き込んでいる。

そんな時期は、見ていてはらはらする。あ^^~親なんてやってらんないよう~とわが親もよく言っている。

巣立ちの手前は飛びかたがあぶない。手を差し伸べると振り払うのに、飛ぶという。始末が悪い。

どんどん行ってしまう人間はそれなりに危なく、引っ込み思案は押したらぐたぐたとうるさい。
まったく疲れてしまう。もう少しもう少し振りまわされていよう。あと少し・・・・・・

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