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 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
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ある訓練より・・・・・・
  小さな投稿が採用されて、何がしかに掲載されるとの連絡があった。それと同時に執筆の腕を磨きませんか?というお誘いも・・・・・・。疑うわけではないけれど、いくつものエッセイを見ていると、なんだかつまらないと思った。きらり光るものがないと直感的に思った。それは最近の音楽が、どれもこれも、差異がなく魅力を感じないことに似ている。

 その仲間になるのは抵抗があった。自分が才能の持ち主だとは思わないけれど、それぞれの感性は人の
体質が違うようにみんな違う。

自分が他の人と肩を並べるのは、仲間と会うときだけだと思う。物を書くことははじめから終わりまでただ孤独
だし、気恥ずかしいものだと思う。

 話しは変わるけれど、孤独といえば、以前仕事で登記事務や会計をしていたときの大勢の中の孤独について少し話そう。私はそこで、人間の弱さも強さもきれいも汚いも全部知ることになったのだけど、その中で神経をすり減らしたのは人間関係だった。みんなそれぞれ孤独だったと思う。だけど、急な仕事が入ればそんなどろどろしてはいられない。気持ちを切り替えてすっくと抜かりなくこなす。この低時給にして緻密なリスクの高いストレスにまみれた仕事によって実は私の内面をある種シャープに研ぎ澄ましていったのだ。顔も見たくない
そのメンバーや事業主だが、それによって私は「私は悪くない。だから負けない」自分に育てたのである。
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とてつもなく小さい人間です・・・・・・
  あまり、自分を信じないようにしなければ・・・・・・時々、とんでもないところに、すごい人がいるものだ。

仕事上の事務的な用件で三度ばかり会った人である。小さな事業を必死で創りあげようとする私には、少し
ハードルが高い話しがあった。でも粘り強く何度も話しをして下さり、希望を見る思いでいた。

ふと・・・・・書類を片付けようとして・・・・・「私も起業をしたいんですよ」とつぶやかれ、安定したサラリーマンと
思っていたので、ふいをつかれた。そして、私などおぼつかない、28年もの有機農業を実践されている人であったと知る。「え~!」と言葉を失い、「そうか・・・・・それが私たちの本当の縁なのか」と感じずにはおれなかった。やはり、人は一度や二度ではまるでわからない。そういえば、自分とて、人に最初から何もかもさらけ出す
わけはない。その人がぽろりと私に話してくれたのは、きっとどこかで、私が先に、心通う話しをしたのだろう。

事業についての思い、熱意、決意、覚悟、なんかそんな話しをしたかもしれない。でも、実際は自分などまだまだ小さな人間だった。気恥ずかしい思いがした。新しい道ができて、県南への移動も早くなった。大和平野を貫く京奈和道は四方に奈良県を取り巻く山々がほとんど見渡せる。実家への距離も近くなった。春はもう来てしまっていた。あちこちで、桜の便りも聞こえるだろう。平野の真ん中に鎮座する大和三山、両脇に葛城金剛の山脈、三輪山、宇陀、榛原の山々、生駒も信貴山も高円、春日、若草山も大峰の山系まで見渡せた。

ふと・・・・・二十年ばかりを振り返る。高田で働いていた。田原本で働いた。郡山に来た。斑鳩で働いた。そして
奈良に生きている。大した人生ではない。ありきたりの人生かもしれない。でも・・・・その重さは自分が知っている。とてつもなく、小さな人間だと・・・・・・・
こう見えて・・・・・・
 数年前、私は或る化粧品メーカーの二次代理店をしていたことがある。といっても名ばかりで・・・・・・
自分の使う化粧品を代理店から仕入れるので精一杯だったのだけど。でも研修のあと、一応、今をときめく
カラーアナリストの肩書きをいただいていたのである。結局、それはほとんど幽霊店で終わり、利益もなく、
かといって損失もなかったのであるが。

当時は県南に住んでいて、生活のために何をしようかと模索している状態のときだった。

何を始めても、途中で子供の病気やなやかやが入り、結局とくに得たものはなかった。中途半端な腰掛の仕事は性にあっていなかったし。

 今日、久しぶりに当時の代理店の方と会い、すでに十数年が過ぎていて、時の流れは速いものだ。

化粧品といってもフランチャイズの先駆けで、やはり売上や成績が評価される。その人は当時、全国ネットで売上一位、二位をとばしていたのだが、それは自宅、店舗ともとてつもない在庫の山だったといいます。
 表彰台にも上り、海外旅行さえいただいたのだが、都度、借金は増え、在庫は減らず、とんでもない日々だったといいます。

今でこそ、その事情がよくわかり、想像することができるけれど、数字上の売上がすべて利益につながり、事業を成功させてくれるはずはない。化粧品業界も今や、星の数。それぞれ、自然派のナチュラル製品で競いあい
決して単独で成功できるものではないだろう。この先、故郷にも事業を持ち込むはずの私は彼女とてリンクしながら続けるかもしれない。すでに、二人のまごさんのおばあちゃんである。
ちょっと自慢の家族 
  つれあいの父、つまり私の義父は、書家で俳人である。私はこの義父が実は自慢に思っている。

奈良でのイベントの帰り道、てくてく奈良町を南下していくと、杉岡華頓美術館がある。数年前、親孝行の真似事に小豆島の父母を奈良に招いたとき、書家の義父を連れて訪れたところである。

義父は90歳に手が届く。田舎の小豆島で静かな余生を送っている。つい二年前くらいは精力的な書道を歩んでいて、「千曲川旅情の歌」島崎藤村を一気に書き帰省するのを待って作品を見せてくれた。

私は田舎に帰るのが好きだ。何もかもがめりはりがあるのに柔らかで、義母は手作りで味噌も梅干ももちも
おかきも、農作物もなんでも作れる。田舎からの贈り物は、かきもちと干物と梅干と手紙・・・・・あたたかい。

田舎は知恵を知っている。それも、頭のいい都会の知恵ではなく、心の通う知恵なのだ。

小豆島の土庄町小海・・・・・は島の西岸、本州と向き合う位置にあり、実家のすぐ傍には大阪城残石公園がある。そこには義父母の俳句の句碑がある。海から少し内陸に入った小さな村。火山島に似合う小山がそびえ、
月が照るとおごそかな風景になる。つれあいは小学校低学年で大阪から小豆島に移り、高校卒業までを暮らした。書道家の義父は信州上田市の人でつれあいにも信州人の血が流れている。この島に住む父は穏やかさのなかに頑固な一本杉が生えている。私の小さな誇りである。
わくわく感こそがコンセプト・・・・・・
   それは、突然のできごとだった。・・・・・普段のようになにごともなく昼を迎え、私は金曜日、病院帰りに
青りんごに入る娘の前座をつとめて昼にはあすならに行くはずだった。

  その波はポエムに着いたとたんやってきた。

お世話になっている金融機関のお客様に続いて、仕事のサラリーマンのお客様、工事のガードマンの人、
若いお兄ちゃんの二人連れ・・・・・次々に店頭に訪れたのである。

オーダーはお弁当、ホットドック・・・・途中でソーセージが途切れ・・・・一瞬お客様を手放しかけた・・・・・
でも・・・・・工事のお兄さんはお腹すかしている。余程苦手でなければ空腹を満たしさえすれば大丈夫だと
思った。とっさに北海道の十勝牛コロッケを見て「コロッケドックでも良い?」と訊ねた。案の定、彼らは空腹で
ナンドックとコロッケドックにわけなく変更承諾してくれた。お弁当をお店で食べようとしていたサラリーマンのお兄さんは、相次ぐお客様に席を追われる形になり、お持ち帰りにしていただいた。ごめんなさい・・・・・

でも、無人駅のホームも今日ならば、暖かくのどかで旅気分のお昼ごはんになるはずである。

あっというまのウェーブ・・・・・私は、実は普段ボーッとしているが(笑)こういう波に突然乗る特技がある。

それは司法書士事務所時代、嫌な人間と顔を突き合わせ、嫌がらせいじめに耐えながらもいざというときは
すばやく完璧に走りこなす術を身につけたからである。毎日は持たないが、たまに来るこんな波は実は朝飯前
なのである。そしてこんなことを「疲れたあ~」という人間をポエムには集まらないようにしたいと思っている。
疲れた・・・・けれども「おもしろかった~」という仕事場にしたいのだ。エコロジーショップは最初に言ったように
わくわく感がコンセプトなのだ。忙しいこといやなこと、つらいこと、すべてを「おもしろい」と感じる仕事、人生に
していくことがポエムの太い幹なのである。かつて青りんごにもそんなウェーブな日があった。今年はほとんどない。

つまらない・・・・・元気なお店にしないといけない。それにはスタッフが心底元気にならなければと思う。

波がきたと感じたときに、迷わず乗れる。そんなスタッフを育て、自らも育つ・・・・・・

そうしてお店を人生を活性化していこうね・・・・みんな・・・・・




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