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 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
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さいはての地にて・・・・・
   それは私にとって、紛れもなく感傷の旅でした。   苦手な飛行機で千歳に着陸したのは夏休みも半ばすぎ・・・・・家族をつれてのドライバーとなって千歳~旭川~層雲峡、北見~網走~知床、摩周湖~阿寒湖、
池田~帯広~札幌を走りました。   人生の岐路であり大きな挫折感の30代前半でした。

 旅というより、ほとんど修業、愛らしいきたきつねでさえ、憮然と見つめた記憶がわずかにあります。

その年の北海道は例のない猛暑。  もとより、爽やかな夏が売りの北海道はどこもかしこも、冷房設備の必要のない宿泊施設ばかりだったのですがその年はどこも寝苦しい夏をすごしたようです。

 記憶を辿ればフラッシュのように大雪山、オホーツクの海、窓からずっとそびえた斜里岳、ウトロ港、大雨の摩周湖、うって変わり晴天の阿寒湖、帯広、なにかよどんだ思い出が残ります。そうせっかくの北海道、多分私はうつうつと何かを背負う修験者のごとく旅していたのです。    不機嫌でした(笑)  それにしても北海道の広いこと・・・・・地図で見る数センチがとてつもなく長く、いつまでたっても先がみえないたびでした。

   誤算でした。北海道を甘くみていました。そして観光とは程遠い、傷だらけの旅路でした。

心がやっと、落ち着き始めたのは旅の最後、池田のワイン城で子供達が噴水の水辺で水遊びをしたころでした。    帯広までいけば車を降りて列車に乗れる・・・・・そう思ったときです。

   最後の十勝川温泉の一夜は安らぎでした。   次の朝・・・・ごうっーという大きな音の繰り返しで目覚めました。   とてつもなく大きな音・・・・・北海道で何?      気球を膨らませる轟音でした。気球に乗るイベントの準備だったのです。         何故、あこがれの北海道がこんなにつらい旅だったのか・・・・・思えばやはり、
心、病んでいたのかもしれません。     地図を広げると、やはり普通は女一人で運転する旅ではありません。    自由さの裏側で自分のセーフティネットのない孤独との闘いだったと思います。   この時の北海道からの教訓は、「心は自然さえも見方を変えてしまうことがある」 ということでした。  「自然の中にいる幸せ」をこれほど感じなかった旅はありません。   つらい記憶が懐かしさに変わることのなかった旅でした。

 オホーツクは静かな海でした。知床半島も思っていたより穏やかな波でした。とても最果て、地の果ての地とは思えない内陸的な静けさがありました。 その風景の裏切られ感がいっそう孤独をましました。そう自分から逃げる自分は許されなかったのです。  この初めての旅の重さから私は人生観を変えた気がします。そう自分から逃げてもそこにいるのは逃げた自分の虚しさだけだということに・・・・・・
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