約束の時間が変更になり、夕刻に真理さんとお会いすることになった。奈良の真ん中の大通りがすぐなのに、その空間は静かで、遅咲きの八重桜が咲いていた。
窓には今年、運よく咲いたというつる薔薇が一面咲き誇り、花の顔は全てこちらを向いている。
今どきではない家の二階。一階は別世帯の方だという。真理さん宅は二階で三間くらいの部屋を全て一部屋に開放されていた。階段を上がると小犬が駆け寄り、古いピアノがあった。
全体、レトロな雰囲気で、だけど生活の匂いもそれなりにあって、バシリと決めたような息場のない緊張感は不思議になかった。二階の目の前の窓は桜の枝ぶりが広がっていて、私のなかのめざすところの「都会の中の自然」という言葉がぴったり当てはまる光景だった。実は真理さんも私もそれぞれに落ち込んでいる時だった。
だけど、椅子に腰掛けてからの対談は、時間を忘れさせる楽しさだった。会った時から同類項の匂いがしたのだが、その印象は会うたび深くなっていった。一番似ていたのは、ほあっーとしているのに、凛としたまなざしが光っているところだ。そう、よくも悪くも・・・・・・違うところはやや、彼女の方が、希望的観測で生きており、私の方が絶望的観測が強いことくらいか・・・・・・絶望の中に、希望を見つけるのが私の仕事である。お話しは彼女がポエムの隣に計画中の子育てサポートの施設が夢として遠のくか掌中に抱けるかの岐路にあることから始まる。施設の名前までついているこの計画は私にとってもかなり熱いウェイトをしめている仕事だった。お話しは今、峠の関所に差し掛かっていた。場合によっては一端引き返さねばならない覚悟が必要だった。 真理さんと私の似ている点は他にもある。いくつかの仕事を同時進行させる素質、私には癖があった。ビブラフォーンの音楽が時刻ごとに流れる柱時計はみるみる三回の歌を奏でていた。二人とも落ち込んだ現実を忘れて、だけどちゃんと根の生えたこれから伸び行く「仕事」としての種をまき花を咲かせる対話をしていた。すっかり夕ご飯時も過ぎてしまったけれど、お話しでお腹いっぱいになった。二人でつむいだ時間と出会いに「ごちそうさま」といいたくなる、明るくて大切な対話をさせていただきました。
PR