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 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
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ご無沙汰ですみません・・・・・・

久しぶりすぎて・・・・・管理人のくせにブログの開け方も忘れてしまいました。

青りんごは休業日が多く、申し訳ありません。お店をしている以上、開店が普通なのですが・・・・・

つくづく、自分の無力さ、ふがいなさ、弱さを知らされたここ数ヶ月です・・・・・・

こうした、様々な不調は、自然から遠ざかったことが原因のひとつだといわれて、本当にその通りだと・・・・・・

リハビリを兼ねて、県南の菩提寺にお盆の供養とお参りに出かけ、心を清めて、帰りに杉浦さんの有機農園を
訪ねてきました。今年はトマトが全滅したと残念そうでした。夏空がどこまでも青く青く、白い雲が湧き上がり、
陽射しはキリリと強く、風は乾いていて、やはり奈良市内とは違う、日本のチベットの山あいでした。

小屋に溢れんばかりに吊るされた有機たまねぎをとりあえず、分けてもらって山麓を離れました。

青りんごのくせにりんごもない状態なので・・・・・・おいしいたまねぎで夏料理でも作ります・・・・・・・

少しまた・・・・・元気を出して青りんごに向かいます。

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闇を抜けて・・・・・・
唯一の長所といえるか・・・・・自分の経験を無駄にしないことにしている。
辛い思いを、忘れる・・・・・辛い思いを、忘れない・・・・・両方生かすことにしている。

何事も思うとおりには行かないけれど。

スローライフを実践し、広大な農園と自宅でコーギーたちと暮らし、絵本作家として生きたターシャテューダーさんが92歳で亡くなった。晩年の暮らしは世界の女性の憧れ・・・・・飛騨の友人に借りた「思うとおりに歩けばいいのよ」・・・・・その言葉は今、自分に言える。「思うとおりに歩けば・・・・・」なかなかそんな風には生きられない。でもせめて、ターシャの言葉を今日刻んで、つまり(人がどうだろうと)思うとおりに歩けばよい。

もし、結論や解決がすぐに出なくても、きっと・・・・・・天は見ていると思う。

自分の部分の繊細さはなかなか・・・・・ターシャのようにはいかないけれど、何かその意味が少し解ったと思う。(正しくてもそうでなくても)思うとおりに歩めば、正しければその解決、そうでなければその解決が天によって下されることだろう。ターシャの農園は、主を亡くし、コーギーたちもまた主を亡くした。

七月には、クリスマスの準備を始めるのだと聞いた。彼女のようにバンダナをして暮らそうか・・・・これから。
過去・・・・・・
心療内科やメンタルクリニック、人の心と身体が結びついて様々な体調異変が起こることが、定説となりつつある昨今。心理的な医師や書籍、体験が身近にあるなかで、私は自身についてわかり始めたことがある。

それは、もう19年くらい前、私は三ヶ月の息子と五歳の娘と三人でいた家に、突然押しかけてきた人たちがいた。彼女たちは怒涛のように押しかけ、家に上がりこみ、箪笥から衣類を持ち去った。「泥棒」「不法侵入」今なら訴えることもできるだろう。それができなかったのは、彼女らは、つい昨日まで私に笑顔で接してくれた縁者だったからである。話しが前後するけれど、この年、前夫が私達を残し出て行ったのだった。この時の傷が、20年近く私を苦しめた。この押しかけ族は前夫の縁者なのだった。しかも、それまで味方だった前夫はこの事態から私たちを守ってはくれず、この押しかけ族の方についてしまったようだった。

今でこそ、感情的な恐喝を受けたと思える。でも、時代がふた昔も前、生活をひっくり返された私には、子供たちをかかえ、ただ呆然と白くなった頭の中を整理する暇もなかった。輪をかけて・・・・・隣にいた優しかったはずの人が自分の味方ではなくなるという二重の痛み、傷を負った。この、後者の傷は、当然、以後の人生の人間を見る目・・・・・に長いこと影響を与えた。今も時々、苛まれることがあるが、幸い、夫はその事件を受け止めてくれる人なので、私の永い葛藤を見守ってくれた。感謝しています。去年、廃業になったフランチャイズとの確執も、それに近いことがあった。私は、人生の課題として、この傷がうずくとき、胸のどきどきと唇や手足の震えと痛み、恐怖感に耐えながら、「こんな思いをする人が他にもいる」と神様に教えられていると感じます。それは、何日も私を襲い、呪縛して離れないけれど、以前買った加藤諦三さんの心理学の本が、受けた側のせいではなく、与えた側を「許せないと思う」との言葉に勇気づけられました。私は強くないけれど、弱者としてこの痛みに耐え、受け止め、できればそんなことがこの世から、一つでもなくなれば良いと願っています。
水面下の青りんご

どうしたものか・・・・・と思い悩み、傷ついていたことが、そろそろ結論に近づいてきた。

正直、鬱にも陥った。人は弱く、何をいうかわからないけれど、人には随分いろいろされてきたので、
たいがいのことは驚かない。時間をかけて耳をすませば、ちゃんと本当の声が聴こえてくる。

でも、その時には、皆は走り急いでいる。「何をいまさら・・・・・」と思っている。だけど、何を今更・・・・ではない。

わけもわからず怒涛のようなバッシングを受けたら、始末に負えない。本当も何もあったものではない。

少し時間を置くのはお互いのためである。と思ってしばらく置いたら、絵は塗り替えられている。

濡れ衣を全部かぶるほど、私は寛大な人間ではない。社会の縮図が見えた気がする。

「世の中にこんなことが蔓延している」・・・・・・久しぶりに門をくぐった心療内科の医師が言っていた。

私も苦しい日々を送った。だからこそ、「本当のこと」は知るべきである。

スロービジネス論、フェアトレード考
いろいろなことに負けそうになる。実際負けていた。・・・・・・というより、勝つ主義でないので食われてしまうのだろう。一年で自分も周囲も変わってきた。人も同時に変わる。始めからニコリともしない人なら仕方ない。突然恐くなったり態度が変わることにもう、疲れていた。言い分があっても聞こうともしない。「言葉」が足りない・・・・

そう想う・・・・自分もなかなか立ち入れない。立ち入ると思いがけず大変だったりする。でも・・・・・言葉が必要。

フランチャイズの配食を廃業してから、私はことあるごとに、本と向き合い、人と向き合い、家族と向き合い、仕事と人生とむきあった。スロービジネス、フェアトレードの書物に向き合い、それにまつわる会合や講義にも出席して、話しを聞き、自分に当てはめて実践もした。まだまだ世間と隔たりがある。私にとってフェアトレードは、遠い南北問題では決してない。日本の中の貧困、格差社会問題でまさに間近に直面している問題なのだ。

気がめげている場合ではない。もっと自分を高めなければ・・・・・・。青りんごにも置いてあったスロービジネス論・・・・・中村隆市さんがまさに私の信条をずばりと言い放たれている。「仕事が変わらないと社会が変わらない」という実感。「有機農業運動や環境運動をしている仲間の夫が商社の企業戦士で自然破壊をしていたり、他のことで稼いで運動を支えるという形では社会を変える大きな力にはならないと実感している。」と・・・・・・
私達も生活のために、どちらかがサラリーマンに戻る選択もないではない・・・・・でもそれなら、例えば私は、
企業戦士の夫の給料の上で「エコビジネス」だの「エコロジー」だのということになり・・・・・。私はそれが納得できなかった。私にとってのフェアトレードは南の国を支援して公正な貿易をするだけではない。自らの貧困問題と日本の社会問題に向き合うことなのだ。「南北の問題とは南の国の問題ではなく、むしろ北の国の問題だと気づく」ことが大切である。「雇用」という呪縛から解き放たれてみる。若い人たちに農とか食とかに関心をもつ人が急激に増えている。雇用の中にではなく、そのちょっと外側あたりに生きるってことを模索する流れ・・・・と辻信一さんがいっている。「仕事が変わらないと社会が変わらない」ポエムは発展途上である。だから、人の助けをお借りすることも多い。情けもいただくことがある。ではこのポエムが、助けをくれた人を追い越すことは許されるのか・・・・・・どうも、その時にトラブルが起こるように思う。京終で保育サポートセンターが開園して一週間。ポエムは予定していた保育士スタッフで参加することをやめ、サイドから対等に付き合うことにした。近隣の母子が遊びにくるようになったし、ヘルパーさんや授産施設の仲間、真理さんの追っかけまで高の原からバスと電車で駆けつけることもある。「ノル」とはインドネシア語で「ゼロ」という意味である。・・・・・・・とても疲れた身体をもう一度起こして、私はゼロから向き合う。
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