忍者ブログ
 JR京終駅前のオーガニックマーケットからのブログです。自然食品やエコロジー雑貨、フェアトレード商品を扱っています。  物語のある製品と作り手の風景を伝えながら事業をささやかにすすめています。
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

初夏に向かって・・・・・
 けだるい季節にもなりました。キャンパスを往来する学生達もだるそうです。今日は北大和地方を走りました。事業は同時進行で一歩一歩進みつつあり、形にならないけれども手ごたえと風向きがよい感じです。

私はいい仕事をするにあたって、人との足並みと温度感を大事にしたいと思いました。

ひとことふたこと、話せばだいたいのそれが伝わることを信じようと思います。すると自分とフェアに付き合える相手とどうしても上下関係ができてしまったり、異常に火力が強く疲れる人とがすぐにわかります。
しゃがみこんだり、背伸びはまだよいのですが温度やものさしが極端に違うと思い込みや誤解が多くなる気がしています。そこで、チロチロと燃える暖炉のように語りあいたいと思いますが、世の中にはいろんな人がいますね。人間不信の滝つぼにはまりかけて、立ち直れなくなることも多いですが、人を信じられない病気になったら、私は世の中で生きていけなくなりますから、そこは何とか私なりに乗り越えているんです。

「人」が怖くなってしまうのは致命傷ですよね^^      初夏に向かって・・・・・・さあ、夏はまた闘いの季節かも・・・・・・
PR
山へ行く・・・・・故郷の山麓に有機農園を訪ねて
奈良県を南に南に・・・・・向かう。五月の空の下・・・・・・遠のいていた故郷に近づく道・・・・・・

御所市と五条市の境目の金剛山のふもと、先日知り合った杉浦さんの農園を訪ねる。

山へ山へ・・・・・昔、走り慣れた道。ここで私は育ち、30年の月日を暮らした。過去も傷も思い出も残る町。

さらに南へ山へ・・・・・新しい道が通い、便利になった故郷に続く道。田舎の父母の住む町を下界に見て、
・・・・・・奈良県は・・・・・きれいなところです。わざわざ関東から歴史ある奈良に移住する人がいて、昨今そのつきあいが多くなりました。改めて、奈良はいいところです。

杉浦さんの農園は・・・・・・緩やかな山の斜面に曲線を描いてあり、高原レタスが青々していました。

すぐ近くには、小さいころ、つくしとりに来た村があり、金剛山からの湧き水は勢いよく流れて、紋黄蝶がいくつも戯れて飛んでいました。眼下には大和平野がどこまでも続き、懐かしい匂いがしました。

すぐに失礼するはずだったのに、お話しが弾み、人とのつながりを信じるビジネスをしている私は直接的な事業ではなく、人を知り、お互いが認め合う、お互いがなってゆくビジネスをしたい旨を話しました。穏やかな太陽の下、大地の中で、彼の農業に託す思い、お互いがなってゆくことを目的にした私たちの事業とのふれあいを共感しあってゆく時間の早いこと・・・・・・もっともと話したいと双方が思い、ひとまず今日は終わりました。

採れたてのレタスをお土産にいただいて、きょうはスープとサラダ、レタスチャーハンにしようと思います。奈良へのとんぼ帰りの途中、朗報が届きました。いよいよ京終が賑やかになりそうです。^^
五月の風の中・・・・・(五月の詩)
曇り空で風がふいている。私の好きな天気です。無人駅の腰掛で女性が一人、風に吹かれて、本を広げていました。空は曇り、暑くもなく寒くもなく・・・・・何故かいい光景だったので、私はしばらく目をとめました。

昔は、外で本を広げている人が多かった。それは何だか絵になるのでした。

川原の土手や、草の匂いの道端、公園もそうだし、屋上も駅のホームも、

学校の中庭や百葉箱のとなり、待ち合わせの学生ホール、学食の長椅子で、いろんな本を広げていました。

それは辞書、それはトルストイ、それはソクラテス、それはハイネ、それはキリストの道だったり釈迦の教えだったり、そうそう大事な少女フレンド、・・・・・・・どこへ行ってしまったのかな・・・・・・

見なくなった・・・・・五線紙を持ってリコーダーやハーモニカ、ギターはたまに駅の路上で見かけるか・・・・・

みんな、どこへ行ったのか?何か忙しい事情でも・・・・・・・あ・・・・・いやいや何でもありません。そんな怖い顔で振り向かないで。声をかけてはいけないのね・・・・・?声をかけたらすぐさま、敵か味方かかぎ分けて、
微笑むか睨むかを決めるのね・・・・・・多分、私がそういうことには無機質な人間だと思ってもらえるかわからないけど・・・・・どうか幸せに・・・・・・さようなら                        ~五月のポエムより~       
優しさと厳しさを合わせ持つ人・・・・・・
 

 故 灰谷健次郎さんしかり、茨木のり子さんしかり、優しさと厳しさをあわせ持つ人で私の目指す人格です。

人に寄り添い、しゃがみこみ、時には白黒をぴしゃりと言い放つ、自分についても社会についても分け隔てなく・・・・・・そんな大人に私はなりたい・・・・・こういう人は権力を嫌い、権力に嫌われる。

まだまだやなあ・・・・・と最近ため息をついた。ため息をついて、反面安心するのだった。

まだまだやなあ・・・・・と未熟な自分を可愛く思ったりもする。ああ、始末が悪い・・・・・(笑)

五月が来る・・・・・去年の五月は・・・・・と考えてふと、矢のごとし日々。去り行く人残る人。

優しさと厳しさをあわせ持つ人に、私はなりたい。また出会いがやってきた。去年の別れが巡り巡って、
そう別れは・・・・・次に出会うためでもある。真理さんがいうように、別れても縁があればまた出会うもの。

私もそう思えてきた。涙を流し別れた人たち・・・・・・どうか元気で生きていてね。もう一度再会のときが来る。
対話・・・・・・

 約束の時間が変更になり、夕刻に真理さんとお会いすることになった。奈良の真ん中の大通りがすぐなのに、その空間は静かで、遅咲きの八重桜が咲いていた。
窓には今年、運よく咲いたというつる薔薇が一面咲き誇り、花の顔は全てこちらを向いている。

今どきではない家の二階。一階は別世帯の方だという。真理さん宅は二階で三間くらいの部屋を全て一部屋に開放されていた。階段を上がると小犬が駆け寄り、古いピアノがあった。

全体、レトロな雰囲気で、だけど生活の匂いもそれなりにあって、バシリと決めたような息場のない緊張感は不思議になかった。二階の目の前の窓は桜の枝ぶりが広がっていて、私のなかのめざすところの「都会の中の自然」という言葉がぴったり当てはまる光景だった。実は真理さんも私もそれぞれに落ち込んでいる時だった。

だけど、椅子に腰掛けてからの対談は、時間を忘れさせる楽しさだった。会った時から同類項の匂いがしたのだが、その印象は会うたび深くなっていった。一番似ていたのは、ほあっーとしているのに、凛としたまなざしが光っているところだ。そう、よくも悪くも・・・・・・違うところはやや、彼女の方が、希望的観測で生きており、私の方が絶望的観測が強いことくらいか・・・・・・絶望の中に、希望を見つけるのが私の仕事である。お話しは彼女がポエムの隣に計画中の子育てサポートの施設が夢として遠のくか掌中に抱けるかの岐路にあることから始まる。施設の名前までついているこの計画は私にとってもかなり熱いウェイトをしめている仕事だった。お話しは今、峠の関所に差し掛かっていた。場合によっては一端引き返さねばならない覚悟が必要だった。  真理さんと私の似ている点は他にもある。いくつかの仕事を同時進行させる素質、私には癖があった。ビブラフォーンの音楽が時刻ごとに流れる柱時計はみるみる三回の歌を奏でていた。二人とも落ち込んだ現実を忘れて、だけどちゃんと根の生えたこれから伸び行く「仕事」としての種をまき花を咲かせる対話をしていた。すっかり夕ご飯時も過ぎてしまったけれど、お話しでお腹いっぱいになった。二人でつむいだ時間と出会いに「ごちそうさま」といいたくなる、明るくて大切な対話をさせていただきました。

フリーエリア

にほんブログ村 地域生活ブログへ
最新CM

最新TB

プロフィール

HN:
グリーンアップル
性別:
非公開
バーコード

ブログ内検索

カウンター

あし@

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30